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死刑の是非のわき道
ずいぶん長いこと放置プレイにしてしまった・・・
実はこんなことを考えていたのだ。
「人間の命はかけがえが無い。だから、殺人犯であっても死刑にすべきではない」
と云う考えと
「人の命はかけがえが無い。だから、その命を奪った殺人犯は死刑もやむを得ない」
という考えは、一見同じ原因から全く異なる結論を導き出しているが、いったいどこがどう違うのか?
たぶん、どちらも自分の考えが論理的、合理的、あるいは道徳的と考えているはずで、意見をたたかわせてもおそらく水掛け論にしかなりそうもない。
いったい何が原因で結論が逆になるのか?
これを考えるのに必要なのは、論理学、分析哲学、言語哲学あたりのようであるが、適当なテキストを探しているうちにこんなに時間がたってしまったのだ。
しばらく、このわき道に入ってブログを続けることにする。
実はこんなことを考えていたのだ。
「人間の命はかけがえが無い。だから、殺人犯であっても死刑にすべきではない」
と云う考えと
「人の命はかけがえが無い。だから、その命を奪った殺人犯は死刑もやむを得ない」
という考えは、一見同じ原因から全く異なる結論を導き出しているが、いったいどこがどう違うのか?
たぶん、どちらも自分の考えが論理的、合理的、あるいは道徳的と考えているはずで、意見をたたかわせてもおそらく水掛け論にしかなりそうもない。
いったい何が原因で結論が逆になるのか?
これを考えるのに必要なのは、論理学、分析哲学、言語哲学あたりのようであるが、適当なテキストを探しているうちにこんなに時間がたってしまったのだ。
しばらく、このわき道に入ってブログを続けることにする。
被害者感情
菊田幸一著 「Q&A 死刑問題の基礎知識」 No.7
殺人事件の遺族でありながら死刑に反対する人物としては原田正治さんがいる。アメリカではドロセア・モアフィールドさんがいる。活動家としてはシスター・プレジャンが有名だ。
結論から言うと「殺人犯を許せ。反省と悔悟の余生を送らせろ」という人たちであるが、被害者の遺族に悟りを開いて宗教家になれというのはいくらなんでも無理ではあるまいか。
本来、刑罰は報復であってはならなず、被害者感情はあまり重視すべきではないと思う。しかし、改善されつつあるとう言うものの、日本の司法はいままで被害者に無頓着すぎた。判官びいきの日本で被害者感情を無視した死刑廃止論が支持を得るのはまず無理である。
「犯人が死刑になればあなたは満足なのですか?」←被害者の妻が、死刑をし主張する息子に言うならともかく、赤の他人には言われたくない。
さらに、被害者はすでに死んでいるのあり、遺族だけの被害者感情を考えればいいとはいえない。光市母子殺害事件で殺された母親は、自分が殺されるとき子供はどうなるのかという
被害者だけでなく、国民に正義が行なわれたと認識させるのが裁判所の任務のはずだ。今の日本の裁判所の死刑の基準はおおむね妥当と思う。
それどころか、どちらかと言うと、やや甘いと考えている国民の方が多数派なのを死刑反対派は真剣に考えるべきである。裁判員制度が始まると従来より死刑判決が多くなると言う危惧さえある。
殺人事件の遺族でありながら死刑に反対する人物としては原田正治さんがいる。アメリカではドロセア・モアフィールドさんがいる。活動家としてはシスター・プレジャンが有名だ。
結論から言うと「殺人犯を許せ。反省と悔悟の余生を送らせろ」という人たちであるが、被害者の遺族に悟りを開いて宗教家になれというのはいくらなんでも無理ではあるまいか。
本来、刑罰は報復であってはならなず、被害者感情はあまり重視すべきではないと思う。しかし、改善されつつあるとう言うものの、日本の司法はいままで被害者に無頓着すぎた。判官びいきの日本で被害者感情を無視した死刑廃止論が支持を得るのはまず無理である。
「犯人が死刑になればあなたは満足なのですか?」←被害者の妻が、死刑をし主張する息子に言うならともかく、赤の他人には言われたくない。
さらに、被害者はすでに死んでいるのあり、遺族だけの被害者感情を考えればいいとはいえない。光市母子殺害事件で殺された母親は、自分が殺されるとき子供はどうなるのかという
被害者だけでなく、国民に正義が行なわれたと認識させるのが裁判所の任務のはずだ。今の日本の裁判所の死刑の基準はおおむね妥当と思う。
それどころか、どちらかと言うと、やや甘いと考えている国民の方が多数派なのを死刑反対派は真剣に考えるべきである。裁判員制度が始まると従来より死刑判決が多くなると言う危惧さえある。
死刑の犯罪抑止力
菊田幸一著 「Q&A 死刑問題の基礎知識」 No.6
死刑をなくすと凶悪犯罪がふえると考えている人は多いが、著者の言うとおり凶悪犯罪、特に殺人と死刑はあんまり関係はなさそうである。そもそも凶悪犯罪をおこす人間は捕まったらどうなるなどということを考えて犯罪に及んでいるとは思えない。
もっとも、日本たばこ産業OL殺人事件のように、警察への告発や証言への逆恨み、あるいは阻止するための殺人は死刑、未遂も無期でいいと思う。
被害者のみならず、司法にたいする公然たる挑戦で、とうてい許せるものではないことを周知させる必要があるし、そもそも加害者自身計画犯以外にありえず、強力な犯罪抑止力が期待できる。
さらに、殺人犯には殺人罪で2回で逮捕されたケースが散見される。一回目は無期もしくは有期の懲役,仮釈放中に2回目の殺人である。こういう事件がおこれば、二回目の事件の被害者やその遺族が裁判に不信感を抱かないほうが不思議である。
こういう事件の被害者の悲しみはやむを得ないコストなのであろうか?
死刑をなくすと凶悪犯罪がふえると考えている人は多いが、著者の言うとおり凶悪犯罪、特に殺人と死刑はあんまり関係はなさそうである。そもそも凶悪犯罪をおこす人間は捕まったらどうなるなどということを考えて犯罪に及んでいるとは思えない。
もっとも、日本たばこ産業OL殺人事件のように、警察への告発や証言への逆恨み、あるいは阻止するための殺人は死刑、未遂も無期でいいと思う。
被害者のみならず、司法にたいする公然たる挑戦で、とうてい許せるものではないことを周知させる必要があるし、そもそも加害者自身計画犯以外にありえず、強力な犯罪抑止力が期待できる。
さらに、殺人犯には殺人罪で2回で逮捕されたケースが散見される。一回目は無期もしくは有期の懲役,仮釈放中に2回目の殺人である。こういう事件がおこれば、二回目の事件の被害者やその遺族が裁判に不信感を抱かないほうが不思議である。
こういう事件の被害者の悲しみはやむを得ないコストなのであろうか?
誤審
「Q&A 死刑問題の基礎知識」 No.5
誤審の存在はおぞましい。死刑支持派の最大の弱点であろう。立川署警察官のストーカー殺人事件もひどいが、富山の強姦冤罪事件や鹿児島選挙違反事件の捏造など警察への信頼を揺るがす事件が連続して発覚したが、誤審も同様に司法の罪は重い。
冤罪と言うのは終戦後司法当局から戦前の高圧的体質が抜けきれない時代の出来事と思っていたが、本当にそうかと問われれば自信はない。
著者によれば2001年12月6日現在の死刑確定囚55名中9名は、第一審以来無罪を主張し、自白も物証もないそうである。(「確定死刑囚の分析」:成文堂刊『三原憲三先生古希祝賀論文集』) また、2004年6月現在で62名の確定死刑囚がいるが、半分近くが冤罪あるいは部分冤罪で再審を請求しているとのこと。この時期の再審請求者には連合赤軍事件の永田洋子、坂口弘(確か10人くらい殺しているはずだが、二人ともまだ生きているのだ!)も含まれているはずであり、執行を遅らせるための不純な動機によるものが多いのかも知れないが、本当に冤罪が含まれているとすれば由々しき大事である。
殺人事件を集めたサイトを見ると、連合赤軍事件以降でも物証がなく冤罪の可能性が否定できないものが少なくとも1件(ただし、犯人は殺人の前科がある)ある。死刑反対派には法律学者、弁護士が多いが、確定死刑囚が冤罪を主張している事件、とくに物証のない事件をについてはもっと議論をすべきではないかという気がする。
死刑にされるのは死刑囚ではなく、麻原彰晃であり、永田洋子である。抽象的な死刑囚と言う概念で死刑反対を議論しても、一般国民に対しては妻子を奪われた光市の本村氏の主張に対し勝ち目はない。
無限回廊
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/m.htm
事件史探求死刑囚リスト
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/index.htm
それに最近の司法では、物証なしの殺人事件では、死刑判決ではなく灰色無罪も珍しくないのではないか。赤坂のルーシー・ブラックマンさん殺人事件では、犯人と思しき人物の異常性癖が明らかにされたが、結局、一審はブラックマンさんの殺人について無罪の判決となった。遺族に見舞金1億円を払うなど、真っ黒に近い灰色としか思えないが、厳格な法の適用といえばやむを得ないんだろうなと思う。甲山事件も 25年かかって無罪となった。
逆に、無期懲役で服役中の殺人犯にも、最近のこのような基準で裁判を行なえば灰色無罪となるケースがあるような気がするのは恐ろしい。
東電OL殺人事件などは黒っぽいな思うが、灰色無罪でも驚かないような事案に思える。死刑廃止論者がこの点を懸念するのはあまり聞いたことはないが、対象者は死刑囚よりもっと多いかもしれないとすると恐ろしい話である。
さらに、真犯人なら死刑当然の凶悪事件でも、死刑廃止により無期懲役にしかならない時代になると、逆に死刑のある時代なら灰色無罪だったのが、無期懲役になるケースが増えそうだ。
ところで、冤罪の可能性があるから死刑廃止というのは、矛盾ではないかという気がする。冤罪の可能性があるなら本来灰色無罪であるべきで、冤罪の可能性があるから死刑はやめて無期懲役というのは自己矛盾である。
殺人犯には、物証がない限り、死刑判決は行なわないという運用にすべきというのであれば、賛成する国民は多いのではないか。死刑廃止への第一歩ならこっちのほうが早そうな気がする。
誤審の存在はおぞましい。死刑支持派の最大の弱点であろう。立川署警察官のストーカー殺人事件もひどいが、富山の強姦冤罪事件や鹿児島選挙違反事件の捏造など警察への信頼を揺るがす事件が連続して発覚したが、誤審も同様に司法の罪は重い。
冤罪と言うのは終戦後司法当局から戦前の高圧的体質が抜けきれない時代の出来事と思っていたが、本当にそうかと問われれば自信はない。
著者によれば2001年12月6日現在の死刑確定囚55名中9名は、第一審以来無罪を主張し、自白も物証もないそうである。(「確定死刑囚の分析」:成文堂刊『三原憲三先生古希祝賀論文集』) また、2004年6月現在で62名の確定死刑囚がいるが、半分近くが冤罪あるいは部分冤罪で再審を請求しているとのこと。この時期の再審請求者には連合赤軍事件の永田洋子、坂口弘(確か10人くらい殺しているはずだが、二人ともまだ生きているのだ!)も含まれているはずであり、執行を遅らせるための不純な動機によるものが多いのかも知れないが、本当に冤罪が含まれているとすれば由々しき大事である。
殺人事件を集めたサイトを見ると、連合赤軍事件以降でも物証がなく冤罪の可能性が否定できないものが少なくとも1件(ただし、犯人は殺人の前科がある)ある。死刑反対派には法律学者、弁護士が多いが、確定死刑囚が冤罪を主張している事件、とくに物証のない事件をについてはもっと議論をすべきではないかという気がする。
死刑にされるのは死刑囚ではなく、麻原彰晃であり、永田洋子である。抽象的な死刑囚と言う概念で死刑反対を議論しても、一般国民に対しては妻子を奪われた光市の本村氏の主張に対し勝ち目はない。
無限回廊
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/m.htm
事件史探求死刑囚リスト
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/index.htm
それに最近の司法では、物証なしの殺人事件では、死刑判決ではなく灰色無罪も珍しくないのではないか。赤坂のルーシー・ブラックマンさん殺人事件では、犯人と思しき人物の異常性癖が明らかにされたが、結局、一審はブラックマンさんの殺人について無罪の判決となった。遺族に見舞金1億円を払うなど、真っ黒に近い灰色としか思えないが、厳格な法の適用といえばやむを得ないんだろうなと思う。甲山事件も 25年かかって無罪となった。
逆に、無期懲役で服役中の殺人犯にも、最近のこのような基準で裁判を行なえば灰色無罪となるケースがあるような気がするのは恐ろしい。
東電OL殺人事件などは黒っぽいな思うが、灰色無罪でも驚かないような事案に思える。死刑廃止論者がこの点を懸念するのはあまり聞いたことはないが、対象者は死刑囚よりもっと多いかもしれないとすると恐ろしい話である。
さらに、真犯人なら死刑当然の凶悪事件でも、死刑廃止により無期懲役にしかならない時代になると、逆に死刑のある時代なら灰色無罪だったのが、無期懲役になるケースが増えそうだ。
ところで、冤罪の可能性があるから死刑廃止というのは、矛盾ではないかという気がする。冤罪の可能性があるなら本来灰色無罪であるべきで、冤罪の可能性があるから死刑はやめて無期懲役というのは自己矛盾である。
殺人犯には、物証がない限り、死刑判決は行なわないという運用にすべきというのであれば、賛成する国民は多いのではないか。死刑廃止への第一歩ならこっちのほうが早そうな気がする。
世論
菊田幸一著 「Q&A 死刑問題の基礎知識」 No.4
一般に民主主義国では、国家は国民世論に従うべきであろうから、この点での死刑反対派の議論はいささか苦しい。どの世論調査でも死刑支持は過半数を大きく超えているのは周知の事実である。
イギリスやフランスに倣い、「死刑廃止に限り、世論を先導し(無視し)、刑法を改正すべし」というのであるが、なぜ、死刑廃止に限りそんなことが許され、しかも日本でもそれを真似しなければならないのかについては有効な説明には思われない。戦前の日本で軍部が大いに国民を先導したのを忘れるべきではない。
もっとも、死刑を廃止した国も民主的に選ばれた議会が刑法を改正して死刑廃止をしているのであって、日本の死刑廃止論者も刑法の改正をまず主張すべきであろう。
法務大臣に死刑執行の停止を、裁判所に死刑判決の自粛を要求するのは、世論の先導ではなく、法治の無視である。
一般に民主主義国では、国家は国民世論に従うべきであろうから、この点での死刑反対派の議論はいささか苦しい。どの世論調査でも死刑支持は過半数を大きく超えているのは周知の事実である。
イギリスやフランスに倣い、「死刑廃止に限り、世論を先導し(無視し)、刑法を改正すべし」というのであるが、なぜ、死刑廃止に限りそんなことが許され、しかも日本でもそれを真似しなければならないのかについては有効な説明には思われない。戦前の日本で軍部が大いに国民を先導したのを忘れるべきではない。
もっとも、死刑を廃止した国も民主的に選ばれた議会が刑法を改正して死刑廃止をしているのであって、日本の死刑廃止論者も刑法の改正をまず主張すべきであろう。
法務大臣に死刑執行の停止を、裁判所に死刑判決の自粛を要求するのは、世論の先導ではなく、法治の無視である。





